憧憬を失うことの意味

お酒より車よりセックスより「スマホ」が大事。冒険をしない10代

この記事についてここ数日考えを巡らせていたのです。なぜセックスよりスマホの方が大事なのか?

この記事はアメリカの話だが、日本でも同様の現象が起こっていると思う。地理的、文化的、政治的な違いが明確にあるにも関わらず、同様の現象が起きる理由はなんだろう?

車は公共交通機関が発達したから必要無くなった。スマホに時間を奪われているから。倫理的に未成年の飲酒が悪と銘打たれているから。

なんていう回答を宣う方々は面白くない。っていうか、つまらないのでご退場いただきたい次第でありつつ。

ここで気になったのが、「セックス」という生理的欲求の減衰と、「スマホ」という物理欲求の興隆という、本来的にトレードオフにならないはずのものがトレードオフになっている、ということ。これはたまたまそういう調査だったから致し方ない、という考え方もあるだろうが、それもまたお寒いというか、そこをトレードオフとして考えるから面白みが出ると思うので、敢えてそこに焦点を当ててみようと思うのです。

憧憬の欠如

この観点で捉えるにあたって、やはり「憧憬」の欠如というのが一つのポイントなのかな、と思ったのです。

僕らが中学生の時、早々に脱DTを果たした同級生に対して、少なからずの憧憬の念を抱いていた。そもそも「彼女がいる」という事自体がもはや羨望の的だったりするわけだが。いわゆる「勝ち組」ってやつだ。もうそれは圧倒的に勝ち組だ。マジ。

そしてそこには、行為自体に対する謎があり、未だ見知らぬ秘部の謎があり、その感触すら想像だにしない、圧倒的な謎があった。そしてそれはイケてない中高生にとっての圧倒的憧れであり、それを知る者はもはや「神」の位を

ただこの謎に起因した憧憬は、インターネットの普及とともに明らかになる。少なからず、行為そのものを簡単に目の当たりにでき、その結果、「謎」は謎でなくなる。モザイクの裏側や生の感触は得られないにせよ、最も大きな秘めたる行為自体が容易に見られるようになったわけだ。その結果、「知ったかぶり」ができるようになってしまったわけだ。世のDTたちは大いなる武器を得た。これで何も恥じることはない、と。

情報社会だからって、物理欲求を向上させる方法は基本的に変わらない

商品を「欲しい」と思わせる方法は大きく2つ。「必要」か「必須じゃないけど欲しい」のいずれかの感情を喚起すればいい。「必要じゃないけど欲しい」者には「羨望」が必要である。

「車」はかつて「必須じゃないけど欲しい」ものだった。けど今は違う。「羨望」が無くなった。上記の文脈で捉えると、「セックス」という憧れにたどり着くためのツールとしての役割が薄れたから。

「お酒」は「イケてる大人」の嗜み的な役割を失った。セックスへの憧憬が無くなったから。タバコも同様。

「スマホ」は重要だ。セックスするための必需品だから。だから本来的にはセックスに対する需要が減るわけではないが、その一方で行為自体への「羨望」が薄れている。だから、エロ動画を見るだけで完結する。完結してしまう機能を「スマホ」は備えていたのだから。これは皮肉なもんである。生物の三大欲求を満たすべく「スマホ」は存在するにも関わらず、その欲求を消極的解消に向かわせてしまったのだから。

なんて支離滅裂なことを書いてみたが

基本的に男は「モテたい」という気持ちを一生涯捨て去ることはできない。願わくば世界中の女性にもてはやされたい。これはもう絶対である。圧倒的正義だ。

で、上記、論理破綻、めっちゃしてるよ。知ってる。けど、一旦ここまでで。

いずれにせよ、「羨望」ってものを売るためには醸成してナンボって話。例えば瞬足とか、iPhoneとか。

instagramの興隆っていうのも、ある種「憧れられたい」っていう欲求が絡んでるから流行るわけじゃないすか。

でね、飛躍するけど、昨今のCM含む広告は「羨望」を演出できているのかな?僕は正直そうは思わないんだよね。っていうことを最初の記事から思った、っていう与太話ですよ、これは。