人が自分の能力を誤解して天狗になったさまを見た

掲題の通りである。あーなるほど、自分の能力を過信する状態というのは、周囲の環境が原因となって発生するのか。と思った話を書いてみる。

天狗様は私ではない。しかしもしかすると私も同じかもしれないので、諸刃の剣よろしく、最終的に泣いてしまうかもしれない。けど書く。書いてみるよ。

あの子は透明少女

もちろん透明少女ではない。言ってみただけである。

最近社内の、とある若手の女子が、ちょっと調子づいた発言を繰り返している。私だけがそう思ったのならばただの勘違いだろう。けど残念なことに、他の人からも同じ言葉が出てきてしまったので、割とそういう感じになってる可能性が高そうだ。

彼女の置かれている環境はこうだ。

  • とあるウェブサイトの運営を任されている。
  • 彼女の職歴上、制作の知識はあるので、部内では「ウェブに詳しい人」とされている。
  • しかしフロントエンジニアではなく、バックエンドの知識も薄い。
  • 彼女のこれまでの仕事は主にディレクション。簡単に言うと、進行管理である。
  • なのに彼女は「ウェブに詳しい人」とされている。
  • なぜならばその部には「ウェブに詳しい人」がいないからだ。

そんな彼女の元上長から聞かされていた本当の評価はこうだ。

  • 彼女の替えはいくらでもいる。
  • 業務の効率性が悪く、言われたことしかやらない。
  • 彼女の仕事をうまく回すために、諸々と手を回さなければいけないので、結構手間がかかっている。

この元上司は、ウェブに明るい。明るいというか、フロントエンドからサーバサイドに渡るまで、実務経験をしっかり積んでおり、本当に詳しい。

そして今回のテーマとなっている彼女のスキルセットは、以前の職場にいたときから特に伸びていない。特段成長したわけではない。ただ環境が変わっただけだ。

「周囲の人よりもほんの少しウェブに詳しい」

絶対的な能力に変化は無いが、相対的な能力については伸びてしまった。ただ、これ自体は問題ではない。今回本当に言いたいことは別のことだ。

「ウェブに詳しい」というのは、業務遂行にあたっての1能力でしかない。「ウェブディレクターとして進行管理ができる」というのもただの1能力だ。

私が言いたいことは、組織の中にはいろいろな能力を持っている人がいて、それらのバランスによって成り立つ、もしくは崩れるというだけ、ということだ。

 

例えば私の話をしよう。私にはできない仕事がたくさんある。その一つが「細かいタスクに切り分けてスケジュールどおりに進行する」というものだ。細かい仕事が大嫌いで、事務処理とか心底やりたくない。だから割と経理部の人には嫌われてる。ってかあの人達の私への当たり方はほんと何なんだろう。毎月キレられてるんだが。まあ毎月事務処理が遅れる私に原因があることは事実である。

しかしその一方で、できる仕事もたくさんある。例えばそのうちの一つが、「全体戦略を策定し、他部署も巻き込んで意思形成する」というものだ。そう、全体像を描き、合意を得ることに関して、私はできる。ゴマすりなんて朝飯前だ。数字の扱いにおいても、割と正確な見立てができる。けれど細かいタスクに落とすのが苦手だ。だからそこを補完する後輩をつけてもらっている。

ここで言いたいことは、つまるところ、業務の得手不得手は人によって異なる、ということ。そして、得手不得手を補完し合うためにマネジメント層というのは様々な社内調整・人員調整に力を割く。

再び彼女の話

彼女にはいくつかの課題がある。課題というか、認識しなければいけないことか。

  • 「自分ができること」と「他者ができること」は違う。
  • 自分の職務レイヤーと、上位のレイヤーでは求められる役割が違う。
  • 自身の業務における「正解」は、他部署から見たときには「間違い」になる可能性がある。

そう、立場が変われば、見える光景は異なってくる。その事実を忘れて、自身の「見える範囲」で相対的な自己評価をしたとき、一気に様々なものが事実からかけ離れて歪んでくる。

この事実を忘れてはいけないな、という自戒を込めて、とりあえず書いてみた。

 

※なお、この話はフィクションであり、実在の人物や組織とはなんの関わりもありません。