まあ、2ヶ月くらい前にFacebookにポロっと書いた話なんですけどね、こんなことを思ったんだよ、っていうのを一筆啓上。てか、原文ママ。
その検索結果、違うだろ!と憤った話
「検索意図を考慮して記事を作りましょう」っていうのを本当にクソだと思う瞬間があって、例えば ”音楽 無料” ってワードでGoogle検索すると、「音楽を無料で聴く方法」ってやつがズラッと出てくるわけですよ。
けどね、音楽は無料じゃねーし!!
さらに言うと、文化活動は無料じゃねーし!!
って思うわけ。
だから、 ”音楽 無料” ってワードでは本当は「音楽は無料じゃない!!」っていう記事を掲示しないと、社会的・経済的・教育的に良くないと思うわけですよ。
けどGoogleとかは普通に「音楽を無料で聴く方法」を出してくるし、コンテンツメディア共は「ユーザーの検索意図」ってのを意識した「音楽を無料で聴く方法」のためのコンテンツを生み出すわけですよ。
クソか!!
って思うわけ。だから某社とか某社とか、いろいろ嫌い、っていう感じ。ほんと社会の闇だぜ。
ということを書いたら、詳しい人がこんなレスを返してくれた
原文ママ載せるのはよろしくないな、と思ったので、要約すると。
「同じようなこと、前にGoogleの人に聞いたことがあるんだけど、情報統制とか思想扇動になったりしかねないし、その辺含めて、技術的にそこまで進んでないよね」みたいな。
いやもう、ホントその通りですよね、と。
じゃあどうすればいいの?っていうこと
そういう風にテクノロジーには限界があって、社会倫理ってのがある中で、でもじゃあどうすんの!?って話で。
パッと解決策が思い浮かばないんですよねー。
1つの案としては、AI活用なんだとは思う。人工知能じゃなく、学習補助的でインタラクティブに多様な可能性を示してくれるようなタイプのもの。検索キーワードに関連する回答を出すものではなく、音声による対話型の学習装置。ってなるとつまるところ、いわゆる未来型ロボットになるんだよね、まさに。
「ある部分ではこういう考え方があります。でもこういった考えも世の中には存在します。」ということを示せるものになるのかなー、って。
で、そうなったときに集合知としてのGoogle検索エンジンではなく、クラスタリングされた思想体というか、分散型コミュニティが形成されて、そのコミュニティ間を繋いでいくってのがGoogleの役割になってきたりするのかな?とか。
でもそれって、ちょっと前に話題になったMastodonだよね、って思ったり。Mastodon、出てくるの早すぎたんじゃね?とか。
なんてことを思いつつ、兎にも角にも、Googleは今、ものすごく高い壁にぶつかっている、ということは事実だと個人的には思っている。大変ですなあ。