データ分析の限界と、本質を捉えるためのUXデザイン

以下の記事が面白かったので、読んで思ったことをつらつらと書いてみます。一応言っておくと、下記記事をディスるとかの気持ちは全くもって無いです。あくまで「データだけで判断できるのって、ここまでだよな」って思ったことを書くのみですので悪しからず。

 「今年のサマソニ、人少なすぎ」問題を調べてみた ~サマソニ vs フジロック~

何を書こうと思ってるかと言うと

簡単に言えば、「データで相関とかは分かっても、本質を理解しないとアクションに結びつかないよね」っていうことと、「実際にフェスに行ってる人の心理を読み解かないと数字が濁るよね」っていうことを思った次第です。

本来的には、データ観点に加え、ユーザーエクスペリエンス設計の観点も加えないと正確な理解ができないとともに、改善には結びつかない、ということを言いたいがゆえに書いてみる。

データ不足・濁り

具体的に濁りを生んでるポイントとしては下記のようなこと。

  • フジロックは3日間開催で、初日金曜日は平日であり、動員としても3日間で一番少ない
  • 加えて土曜日が最も動員が多い
  • 3日間のうち、一番人気のアーティストが金曜日ないし日曜日にあたる場合も多々ある
  • 人気度として「検索回数」を使う場合、新譜のリリース年のほうが当然高い数値を出すと想定されるが、必ずしもヘッドライナーはその年に新譜を出しているとは限らない。つまるところ、少なくとも移動平均で出す必要がある。(ちゃんと考慮されてるかもしれないけど)
  • そのため、ヘッドライナーの人気度と動員数の相関性を出す場合はそもそも変数が足りない

という感じ。だから、粗いデータで見てしまうと、変な結果になりやすい、というのは念頭に置いておくべき事項だと、個人的には思いました。

サマソニとフジロックのそもそもの大きな違い

元ネタの記事には「フジロック」の体験価値について記載されているが、これは事実当たりである。

飲食について

まず飯と酒の問題を訴えたい。

はっきり言って、サマソニに出店されてる飯は大概マズイ。酒はZIMAとかのスポンサードブースで提供されるのが基本で、オフィシャルバー含めて酒の選択肢がフジロックと比較して極端に狭い。しかもビール一杯買うだけなのにクソ並ぶ。アホか、と。酒を入手するだけでも苦慮するフェスなんて行きたくねーよ、と。

愚痴ってしまいましたが、要するにサマソニはスポンサー企業を優先させているように参加者からは見えるわけで、顧客中心の設計はなされていない。

音質について

ついでに言うと、音響設備も雲泥の差である。サマソニの音質の悪さ、フジロックの音質の安定感 は有名な話である(と個人的には思っている)。そもそも音楽の質ではなく、アーティストのネームで集客しているというのは、データ以前に事実だろう。(暗黙の事実をデータで証明することは学術的に大事なことでもあるので、元ネタの記事をディスっているわけではない。)

そんなこんなで、割と根本的な思想がフジロックとサマソニでは違う部分が多い。

体験と負荷と自己成長について

次にゲーム設計の面でも大きくことなる。

フジロックとは、巧みに設計されたゲームであり、培ってきたストーリー性がその人気を支えている。

人は少し負荷の高い困難を乗り越えることで、自己成長を認識し、次のステップに踏み出そうという気持ちになる。クリアが容易すぎるゲームはすぐに飽きるし、愛着もわかない。

フジロックとはそもそも困難の連続である。3日間とは言わず、たった1日だけを見ても、強い日差しや突然の豪雨、夜の急激な気温低下など、苦難の連続である。ぶっちゃけシンドい。本当にシンドいのだ。しかし、リピーターは増える。3日間を生き延びた後、また来年も行こうと思う。なぜか。マゾか。いや違う。

1日もしくは複数日に渡るシンドさを乗り越えた先に、「次はこうしよう。こうしたらもっと快適に過ごせるはずだ!」という気持ちが芽生えるからである。そう、人は失敗から学び、成長した自分を感じることによって新たなモチベーションが生じる。

この苦難が都市型フェスでは演出しきれない。だから「来年もまた来よう」ではなく「良いアーティストが来たら行こう」になる。

これが根本的な、アーティスト弾力性を生んでいる原因である。

なぜ洋楽不況なのか、ということへの回答

簡単に言うと、ここ数年の日本の音楽シーンと海外のシーンで、びっくりするぐらいベクトルが違う方に行ったから、ということだと思う。

箇条書すると。

  1. 日本のメインストリームは四つ打ち共感型ポップ&ロックへ。海外はヒップホップシーンの盛り上がりや、Pitchforkを中心として良質なインディーロックバンドの引き上げが定着している。
  2. 日本で海外シーンを取り上げてきた、SNOOZERやBUZZといった有力音楽メディアが休刊となるとともに、代わりになるウェブメディアが育っていない。ロッキンオンというクソおっさん向け雑誌しか残っていないという、情報流通量の激減状態。日本にはPitchforkが無い。
  3. Bump of Chicken症候群。Asian Kung-fu Generation症候群。
  4. 世代の問題。
  5. そんなこんなで、実態としては「洋楽不況」ではなく「邦ロックの異常なインフレ」が原因とも言える。

上記、1と2については、日本のウェブメディアのリテラシー不足が大きな問題にもなっている。ここで言う「リテラシー」とは、コンテンツをディストリビュートする方法を意味している。つまるところ、ソーシャルマーケティングやSEOがまったくもってできておらず、戦略的な拡散フレームができていないのである。

言い換えると、日本で音楽ビジネスに携わっている人たちは、「デジタルマーケティング」という言葉すら知らない可能性があるし、そもそもビジネスマンとして未熟だというのが実感だ。

BoC症候群とAKG症候群とは

Bump of ChickenとAsian Kung-fu Generationが悪いわけじゃない。ただ、それを後追いするバンドが腐るほど増え、劣化コピーバンドが多発するとともに、両者の成功をマーケティング手法として使い回しすぎている日本のレコード会社の問題だと私は思っている。

BoC症候群は、Radwimps症候群と言い換えてもいい。それはすなわち、「天体観測」に起因する「君と僕のストーリー」的歌詞構築手法を意味する。てか、最近の邦ロックバンドのどこを切り取っても、歌詞の作りが「君と僕」であり、「自己と社会」の構造体系を歌うアーティストなんてどこにもいない。そもそもロック、ことパンクに至っては、社会に対するアンチテーゼを掲げるものでもあったはずだが、今の若手日本ロックバンドにそんな奴らはいない。いや、いるんだけど、「知る人ぞ知る」存在でしかない。おかげで、世の中にはなんのメッセージ性も備えていないありふれた言葉が蔓延している。

言葉に対する共感は、広く波及する、ことさら日本ではそうだろう。すると、ライブには共同体感覚ではなく、アーティストが発する言葉を聞く、という行為に移り変わる。しかし言葉への共感は残念ながら、現場に向かうという必然性を失わせる。

理解しやすい「言葉への共感」に支配されると、必然的に英語を理解することが億劫になるとともに、鳴らされるサウンドの妙には耳が向かなくなってくるというもの。それはつまり「洋楽不況」へとつながっていく。

次にAKG症候群について。

Asian Kung-fu Generation自体が優れたアーティストであることは間違いない。それは先んじて言っておく。けれどその一方で悪しき事例も作ってしまったのも事実である。

AKGの功罪は2つ。

  • 四つ打ちロックの心地良さ、聞き馴染みの良さを植え付けてしまった
  • アニメの主題歌として起用することにより、最低限のクラスターからの収益が得られるというフレームを作ってしまった

最初の方は言うまでもなく「ループ&ループ」のことだ。これが売れた。売れてしまったがゆえに、その後今の邦ロックのデファクトスタンダード的になったのだと私は思っている。この流れを後押ししたのがチャットモンチーだったとも個人的には思っている。つまり一番悪いのはSony Musicだ。いや、マジで。

2つ目は鋼の錬金術師のアニメで採用された「リライト」だ。私の記憶が確かであれば、AKGの最大のブレイクポイントはここだった。これが以降の勝ちパターンとして慣習化していく。言い換えるとAniplexとSMEという凶悪タッグが、日本の音楽シーンのベクトルを歪めたとも言える。いや、マジで。あのサブカル財源化はちょっとやばいって。大迫ばりにやばいって。

 

てなことで、ここまで書いて、結局「邦ロック」の話になってもうてるやん、ってことに気づいてしまったので、そろそろやめよう。

フジロックとサマソニの話に戻します。

本題に戻る:データだけでは見えないことがたくさんある

ここまで書き連ねておいて、結局何が言いたいのかというと、割と簡単である。

データ分析の精度を上げるには、データの充実だけではなく、UXデザインの観点や、市場動向等に対する洞察も必須である

ということです。

この辺、意外と抜けてる人多い気がするんですよね。まあ逆も然りなんだけど。

だから、データとばっかりにらめっこしてないで、現地体験をしてユーザー視点に立って仮説考証と改善策の立案に取り組みましょうね、世の中のデータ分析する人たち、っていう話でした。

ちゃんちゃん。